屈辱は力!

こんな思い出したくもない恥ずかしい話を書いたのにはわけがあります。

  • このような忘れられない屈辱は自分にとってのかけがえの無いMotivationになります。ちくしょー、いつかこのうらみ晴らさずにぃー、と思うことが英語の学習を続けていく力になりました。
  • もちろん、このような経験はこれだけではありません。最近になってもSenior managementへのプレゼンテーションで一瞬の逡巡をつかれ苦杯を舐めてしまうことがままあります。ちなみに、英語でのCommunicationにおいて逡巡することは日本語よりも大きな問題です。私が前にスピードをうんぬんしたのもそこなんです。これは後述します。
  • でも今はそれが自分の起爆剤になるということがわかっているので昔のような一喜一憂はなくなりました。
  • 言いたかったのは、そういう環境に置かれ、そういう辛苦を経験してそれを自分への動機付けとしてゆけばみんな絶対うまくなる、絶対に英語を言語ツールとして自分の財産にしてゆけるんだということです。
  • 英語を学問として地道に習得してきた人よりも、こういう実践的な機会を通じて習得してきた人のそれはよりタフなツールだということができると思うんです。
  • 私は今の会社に入社したときには、自分はおそらく一番できない部類でした。6年経って受けた社内一斉の英語力測定試験では日本人タッフ100数十名の中で上から9位でした。このサイトを読んでいただいている方の中にも当時の私のような方がいるかもしれません。絶対にくじけないことです。
私にはもう一つ忘れられない屈辱の日々があります。前述の会議の例のように数時間で終わってしまうようなものではなく、2年以上も続く試練でした。それは「外資」のほうで触れたいと思います。